こんにちは(^^
今日は、フルート奏者小岩明日香がフランスに音楽留学をしたときの費用について書きました。
預金残高150万・仕送りなしで留学生活をスタートし、計6年間フランスに住んだ私の金銭事情を包み隠さずお話してみます。笑
渡仏準備~留学初期
北海道は札幌市で大学・大学院と学生生活を終えた私は、引き続き札幌に住み続け、フリーのフルート奏者として音楽活動をしていました。
学生を終え、実際にフリーで音楽活動をしてみると、どうしてもまだ勉強したくなり、フランスへ行くことを決意します。
しかし、まだ足掛け2年のフリー奏者、留学に十分な費用はありません。
一度釧路市の実家に戻り、1年間期限付きで教員として働き、貯金をすることに。
教員の給料を全力で貯めればもう少し蓄えられたかもしれないのですが、とにかく職場の飲み会に参加しまくり(そのときすでに「フランスでお金に困ってもいいから、私は今酒を飲む!」と宣言していた)、
留学前に日本で支払わなければならない留学必要経費を全て払って残ったのは
150万。
留学した2013年9月、当時もなかなかの円安で、1ユーロ134円ほどでした。
150万をユーロに両替すると、110万くらいに減ってしまったようなイメージ。残念。
手元に11000ユーロを携え、フランスでの留学生活を始めます。
渡仏後まず、学校に入学手続きをしにいき、授業料を3500ユーロほど支払います。
この時点で残高7500ユーロ。
住居は初め、仮住まいのアパートを1か月だけ契約しており、その1か月の間に練習できる条件の部屋を探さなければなりませんでした。
私が新たにみつけた、楽器練習可の家は、1か月の家賃800ユーロ。
3か月分ずつまとめて家賃を支払わなければならないシステムでした。
+敷金800ユーロで、
引っ越し初期費用として3200ユーロを支払いました。
差し引くと、留学を始めて1か月ですでに4300ユーロしか残っていません。笑
次回3か月後に家賃を払うときには、また3か月分まとめて払うので、その中から2400ユーロを確保しておかなくてはなりません。
留学生活は始まったばかり、
渡仏1か月のこの時点で、もう使えるお金が20万円ほどしか残っていないのをおわかりいただけるでしょうか。笑
さらに、留学生あるあるだと思うのですが、最初はユーロの価値や物価が馴染んでいないので、1回の食事代としてどれくらいが妥当かわかっていない。
たまたま大学時代の先輩もその年に留学しており、よく一緒にレストランに行き、前菜からデザートまで、もちろんワインも2杯くらい、1度の食事でいただいていました。
そんな高級レストランに行っていたわけではなく、その辺のカフェやブラスリーでしたが、それでもフルコースでいただくと4,000円くらいはかかってしまいます。
そんなこともよくわからず、留学当初はフランスのご飯の美味しさに歓び、堪能しまくる私。
お金が足りていないことは渡仏前から自明でしたので、そもそも私の留学生活はアルバイトをして生活費を稼ぎながらの学生生活が前提でした。
アルバイトを始める
渡仏した翌月にはアルバイトを始めました。
フランスの留学生にとって主流な、ベビーシッターのアルバイトです。
同時に当時の私は、ヨーロッパ中に留学している友達がいたので、周辺諸国の友人たちに会いに行くのを楽しみにしていました。
そんな貧困な中、さっそく11月末には一人ドイツ旅行に出かけます。
inライプツィヒ。
貧乏旅行ですが、バッハにゆかりのあるトマス教会でコンサートを聴いたり、楽器博物館に行ったり、バッハミュージアムに行ったり、ゲヴァントハウスのコンサートを聴きに行ったり、毎日朝までドイツビールを飲んで友と語り合い、それはそれは幸せな時間でした。
もちろんこんなことばかりしていたわけではありませんが、アルバイトをしていてもあっという間にお金がなくなっていきます。
留学して最初のひと月とは裏腹に、この頃すでに日々の食事はすごい節約っぷりで、
なんと驚きの1週間5ユーロ生活に突入。
日本円でいうと、500円玉1枚で1週間過ごしていたようなものです。
みんなにどうやって暮らしてたの?と言われますが、なんとかしていました。
安いスーパーを探し歩き、サンチーム単位(1円単位のようなもの)できっちり計算し、お買物をしていました。
9月に渡仏した私ですが、日々アルバイトをしていても、年明け1月にはすでに次の家賃が足りない事態になりました。
本当は2年間留学したかったのですが、場合によっては1年しかいられないのは最初から覚悟の上でした。
ところが、このままでは1年目も終えられそうにありません。
(フランスの年度末は6月末)
、、、、、
悩みました。
なんと人生で初めて悩みました。笑
このまま留学をやめてしまうか、どうしようか、、
3日間悩みに悩んだ私は、母方の親戚にお金を借りられないかお願いしてみることを決心します。
(この親戚の方からは、日本で大学に通っていたときの学費もお借りしていました。)
しかも、2年間の留学を諦めたくなかった私は、2年目の学費と、その間の家賃までを借りることにしました。
計算した額は180万。
これで、2年目の学費と留学を終えられるまでの家賃ぎりぎりです。
その他生活費はもちろん、自分で働いて賄うつもりです。
意を決して親戚の叔母さんにラインを送り、、
ドキドキ、、、
数分で
「わかったきいてみる」
と、あっさりしたお返事。
そこから待つこと3日、、
テトン!
(ラインの着信音)
ドキドキしながらラインを開くと、、
「いいってさ」
極あっさり。笑
「全部返すまでに10年くらいかかるかもしれませんがm(_ _)m」
と言って、無事お借りすることができました。
(その後日本でめっちゃ働いた期間があり、日本の大学のときに借りていた4年間分の学費・その他大学院の奨学金含め、学習のためのうん百万の借金は3年間で完済しました。笑)
そうは言っても、日々何かとお金はかかります。
食費、光熱費、楽譜代、生活消耗品、交通費、せっかくフランスにいるのだから美術館だって宮殿だって行きたい、、
アルバイトから帰ったら夜9時を過ぎている日も多いのですが、当時フランス人家族の家の一部屋を間借りという居住形態だった私は、その時間になるとキッチンを使ってはいけない決まりになっていて(家族が使っている時間なので)、ご飯を食いっぱぐれることもしばしば、、
自分の部屋で安いワッフルを1つ食べたりして、飢えを凌いでいました。
そして、
親戚から借金をしたにも関わらず
翌年
また1月に貯金が底をつきます。
フルートの先生に
「もうお金がないから帰ります」と告げようか本当に迷いましたが、
帰国のための飛行機代も残っていない、、、
そこからの私は、運よくアルバイトを増やしてもらい、ひたすら働きます。
ほとんど週7で働いていました。
土日は丸1日ベビーシッターをすることも少なくありませんでした。
それで、ようやく家賃も何もかもぎりぎり捻出できるようになり、わずかながら貯金も出来るようになり、なんとか生活していました。
当時は痩せちゃっていたし、友達のご飯の誘いもほとんど断らなければならなかったし、常に風邪をひいていました。
今思い返してもかわいそう。笑
全然栄養足りてない。笑笑
朝6時半起床、練習時間を午前中のうちになんとか確保し、午後2時にはアルバイトに出かける毎日でした。
アルバイトの話
パリでのベビーシッター業務はけっこうおもしろくて、まず幼稚園にお迎えに行き、バスに乗って一緒に家に帰ります。
子どもと少し遊んだあと、夜ご飯を作って食べさせ、お風呂に入れ、寝かしつけまで、とフルコースでシッティングをします。
そしてワイシャツのアイロンがけをしたりしながら、両親の帰りを待つ、というスケジュールでした。
それを平日週4で行い、水曜日だけは違う子のサッカーの送り迎えのみのシッティング、
週末は同じ子を、日によっては朝9時~夜9時でみたりと、家族以上のなかなか濃い付き合いでした。
丸2年間ずっと同じ子と一緒にいたので、本当に子育てをしていた感覚です。
彼女が3歳だった当初は、もちろんまだうまく出来ないことが多く、ほとんど社会性もありませんでしたが、幼稚園も年長さんになると、しっかりしたお姉さんに成長しました(^^
子どもの成長は嬉しいは嬉しいのですが
しかし私は
”勉強をしに” わざわざフランスまで来たのです。
ベビーシッターをしに来たわけではありません。
お金がないと働くことに時間を割かなければならない。
時間がないと満足な練習ができない。。
この頃の私はいつも、お金の心配などない与えられた環境の中、音楽に全力を注いでいる友人たちを羨ましい思いで見ていました。
私なんてなんとか毎日ご飯を食べることで精いっぱい。
とは言え、悩みのない人なんていないわけで、みんなそれぞれに違った悩みを抱えながらの留学生活を送っていたのでしょうけどね(^_^;)
今だからそう考えられます。
留学3年目の特殊な暮らし
そんな私も留学3年目にはどんどん逞しくなり、ついに家賃のかからない生活を始めます。
留学3年目は、月に2度ほど不定期で泊まり込みのシッティングをする代わりに、現金の報酬ではなく、アパートを1つ与えられる、という変わった条件の仕事に就きました。
詳細条件としては、この不定期の泊まり込みシッティングには必ず都合をつけてほしいということと、週に1度家のお掃除に来てほしい、ということでした。
このとき与えられたアパートは、パリでは珍しくモダンで清潔なお部屋で、日当たりも良く、ワンルームと言えどなかなかの広さがありました。
しかも、練習をしても苦情が来ることなく、WiFiも大家さんが契約してくれていて、これは本当にラッキーな物件でした。
「このお部屋は貸したら月1,300ユーロは下らない」
と聞きました。
日本円にして17万強。貧乏学生にはちょっとお高い(^_^;)
ただ、家賃はかからないと言えど、その他の生活費はかかるので、その分は他で稼がなければなりません。
初め、他でのアルバイトはしないでください、と言われたのですが、
「それでは生活費がないので暮らしていけません」
と伝え、その家のシッティングは絶対に優先するという条件で、他でもアルバイトをできるよう、交渉しました。
(留学してこれくらい経つと、交渉は当たり前というメンタルに人は仕上がる。笑)
そのときも雇い主に、
「留学するのだから、それくらいのお金は用意してくるものだ」
というようなことを言われ、お金持ちじゃないと音楽をしてはいけないのかと思い、悲しくなったのを覚えています。
このお金に頭を悩ませる時間を音楽を考えることに使えたら、
アルバイトの時間を練習に使えたら、、と留学中何度思ったことでしょう。
ただひとつ、自信を持って言えるのは、
私はどこでも一人で生きていける。
しかも割と楽しく。笑
こんな感じで、私は図太く留学生活を送りました。
もちろん賛否はあると思います。
資金も十分にないまま、そんな無計画で行くなんて無謀だ!
と言われても当然だと思います。笑
しかし今思い出してもなかなか斬新ないい思い出ばかりで、
後悔はひとっつもありません(^^
と
まとめたところで、このままブログをしめようと思いましたが、
このブログを通して無意味に私の貧乏自慢、苦学生っぷりを披露したかったわけではないのです!笑
一度でも留学を考えたあなたに伝えたいこと
何をお伝えしたかったかと申しますと、
お金がないからと留学を諦めているそこのあなた
覚悟さえあればなんとでもなります。
生き抜く術は現場で身につきます!
今はまだ円安なので、お金もなんならユーロで稼いだほうがお得!
海外で勉強してみたいと少しでも思ったならば、飛び込んでみることをオススメしたいです(^^
大変なことももちろんたくさんあると思いますが、それ以上に得るものは大きいです。
フランスに行ったからって、6年間住んだからって、フランスのことが、フランス人のことがわかるようになるわけではなりません。
(私はフランス語もろくに話せません(^_^;))
私が私の留学経験から得たものと言えば、
最高にプラスの意味で、いろんなことがどうでもよくなります。
日本は単一民族国家であり、島国であるため、どうしても決まった考えに縛られがちになるような気がします。
行ってから知ったのですが、フランスという国は移民をたくさん受け入れているため、また歴史的背景から、いろんな国のいろんな民族が暮らしています。
その中で揉まれて生きていくうちに
「自分の意見は言うもの、自分の思うままに振る舞っていい、価値観はさまざま、みんな違って当然」
というのが自然と普通になっていきました。
自分は自分!!
人目を気にしすぎるのは日本人の良いところでもあり、生きにくさにも繋がっているように思います。
留学を経験し、たくさんの刺激の中、さらに自分の音楽を確立し表現できるようになると、音楽も人生も段違いに楽しくなるかもしれません(^^♪
あと当然、ヨーロッパは芸術の本場ですので、素晴らしいコンサートや美術館がいつでも低価格で身近にごろごろあります。
学業の全てが思い通りに進まなかったとしても、
その環境に身を置くだけでも、海外の空気を吸いながらぼーっとするだけでも、十分に価値はあるのではないでしょうか。
私はこの3年間の留学のあと、帰国して日本で3年間しっかり働き
再度3年間のフランス留学に出発するのですが、そのときのお話はまたの機会に。
留学後、よく「フランスで何食べてたの?」ときかれます。
次回はそんな食についての話も書いてみようと思います。
ご興味ありましたらぜひ。
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